Domestic Violence

彼女の僕に対する「憎」を今更ながらに読んだ。

 

それは、受験期からなんてものじゃなかった。

復縁したからなんてものじゃなかった。

 

付き合った当初のことも書いてあった。

 

「恋人いない歴=年齢でいいから、元カレがいた記憶を消したい」と言っていた。

 

僕は、その言い訳をずっと探している。

話は二年も前に遡る。

記憶も定かではないが、辿ってみる。

 

彼女は確かに、元々自分のことをよく話すし、マイペースで、でも誰かに尽くすことが大好きな人だった。

交換ノートを始めた当初は、手紙の応酬というよりは、独白のような日記みたいだった。

さすがに寂しくて、僕は言った。

 

自分の話も相手の話も半々で話せたらいいね、と。

ふたりの時は、できればふたりの話がしたいね、と。

 

彼女はそれに納得していなかった訳じゃなかっただろう。

それすらも全部受け止めるべき、受け入れるべきだと言われたらそうなのかもしれないが。でも、こういう風にしてふたりはひとつになっていくのだと、僕は思っていた。

僕は、その頃はまだ、自分に非があったとは到底思えない。

 

彼女は大好きな彼氏に、とても尽くそうとするようになった。

 

メールでも、手紙でも、交換ノートでも、ほぼほぼすべての話題にレスポンスを返す。

僕の文章の一文一文にきっちり対応させた返事を返すのだ。

それが、受験期になって無性に怖くなったのを覚えている。彼女の「依存」から逃げたいと思っていたのもなんとなく覚えている。

 

 

彼女は写真を撮るのが好きで、僕は少しだけそんな彼女が嫌いだった。

答えは簡単で、修学旅行で他の男子と写真で盛り上がってるのに嫉妬したからだ。

幼いと思うけど、きっと今もそう変わっていない。

だから、彼女が僕を置き去りにマイペースに写真を撮るのを、僕は寂しいと伝えた。

 

「趣味の制限までされた。」

 

確かにそうだ。彼女の趣味を制限したのは事実だ。

そんなマイペースな彼女のことも愛せたらよかった、そう思う。

でも、じゃあ、寂しがる僕のことは、伝えない方が良かったのだろうか。

ねえ、君はどう思う?

 

一応弁解をすると、僕は少しずつ彼女の写真を撮る趣味に対するある種トラウマみたいなものを克服しようとしていた。

高校前のイルミネーションをふたりで写真を撮り合って、そんなのがアルバムにたくさんある。友達に写真を撮るようになったのは「彼女さんの影響でしょ?」なんて言われたこともあった。僕だって、変わろうとしていた。寄り添おうとしていた、はずだ。

 

まあそんなことを言っても仕方がないけれど。

 

僕が醜かったことはいくらでもある。

劣等感や嫉妬心で、たくさん無駄な言い争いをしたことも覚えている。

 

あなたが、目の前でフォロワーを何人もブロ解し始めた時は怖かった。

 

「あなたがいれば、別に他の人なんていらないし」って。

 

本気で言ったその目が、怖かった。そんなことを望んでいた訳じゃなかった。

 

でも、ただ人に愛される彼女に負い目を感じただけで。

あの頃の僕はその醜い感情との向き合い方を知らなかったのだ。

 

今も、その処理方法は知らないんだけども。

 

 

喧嘩した日、雨の中傘も差さずに彼女が僕を追ってきたこともあった。僕は彼女の引き留める連絡に気付かなかった。

そして自転車で30分以上かかる道のりを、彼女はひとり走ってきた。

 

そんな危うさを、彼女はずっと持っていた。

 

でもそれは愛の裏返しなのだと、あの頃は信じていた。

事実かどうかは分からない。依存の裏返し、の方がしっくりくる。というかまんま表か。

 

だが、それも今となってしまえば、すべて僕の汚名だ。僕の罪だ。

 

僕が悪いのも、彼女に楽しかった思い出など不必要だということも、重々分かって入るつもりだ。

 

 

それでも。でも。

全て一緒くたにされた「加害者」の僕は、もうこの先どう歩けばいいか分からない。

 

膝が震える。声も出せない。

 

醜い僕は仕舞ったままで、生きていくしかないのか。

 

 

 

「加害者」になるくらいなら「被害者」でいいと、僕は言う。

 

それなのに。

 

 

「こんなに寂しいのは嫌だ」と幼子のように喚く僕もいた。